龍馬伝、初めて見られなかったです。
代わりに、中田と本田君の対話を、静岡市からの帰りに見られました。
両者の気持ち、とっても良く分かりました。
ここには、書きませんが・・。
午前、ちょっと仕事後、
PTAのPでもない僕は、高校の文化祭の富嶽祭へ。
そこでの作品とある生徒との対話。
広告看板屋である僕の興味は、
写真、書道、美術、新聞部。
それとOB会の作品。
(といっても僕は、体育系でしたが・・。)
下記写真はそこでの書道部の作品。
字に勢いがあり、僕は好きです。
この方は、今後人生を前向きに過ごすでしょう。(勝手な論評)
この言葉を選んだ人柄が、滲み出ています。
たまたま、
ある生徒に声を掛けたら、T大を目指しているって言っていました。
おお、びっくり。
たまたま声を掛けた生徒が、ホームランでした。
色んなアドバイスをしました。いつもの様に、勝手な意見を・・。(笑)
努力をしたという経験は、いつか役に立つよって。
そして、努力の{努}という字は、「女」の「又」の「力」と書きます。
変な意味じゃなくって、
こどもなら母力を借り、父親は後姿を見せる。
夫なら妻の力を借り、
会社なら、男性社員は、女性社員の力を借りる。
って、僕は思います。
その後、
静大フェスタへ。
人文学部言語文化学科の模擬授業を見に行ったのですが、間に合わず、
授業後の小二田教授の解説のみ聞かせていただきました。
ネット社会の現代、自分の目で見る大切さを語っていました。
僕もそう思います。
身近な所に、一杯アイデアが落ちています。
振ってくるんではないんです。
(って、H堂の方も先日言ってました。 同感です)
会場では、男女共同参画推進室 助教のMさんがあるブースにおりました。
そしたら、ジュースとサンドイッチを買って僕にくれました。
ここからが、わらしべ長者? 物語の始まりでした。
僕の出身学部のある教授に、僕のゼミの教授に僕が来た事をお願いしました。
なぜって、僕は、卒論であまり真剣に考えずに松下村塾をテーマにしたので、
今度は、真剣に学びたいって思っているからです。
ようやく、僕にその時期が来たって、会ってお伝えしたいんです。(またまた、勝手ですね)
伊東線の中で、先日撮った写真です。
その後、大岩に住んでいる兄の所へ。数年ぶりに。
そこで、ケーキを渡したら、帰りに京都八ッ橋をもらいました。
兄の家の近くの臨斎寺。
初めて知りました。
家康公が幼少時、ここで学んだそうです。
中には、普段は入れないです。
その足で、静岡浅間神社の南の宮ヶ崎商店街(浅間通り)
大村洋品店でお馴染み?、の商店街
というのは、
ある20年ぶりの友人が3年前にセレクトショップ クー を、オープンさせたって静岡新聞で知ったからですが、
その友人は、あと20分しないと帰って来ないよって店員さんに言われたので、(実際は、1時間半後でした(笑))、
先日知り合った方の、実家の河内庵さん(そば屋さん)へ。
お蕎麦、本当に美味しかったです。
享保元年(1716年)に、創業だそうです。
徳川吉宗時代ですね。
「享保の改革」という言葉しか知りませんでしたが、吉田松陰同様に興味をそそられ、
時間があったら、現実に調べたくなりました。
その後、訳も分からずぶらっとしてたら、
何屋さんかも分からないけど、お洒落な匂いがしたので、
ebbro さんへ寄りました。
元タミヤ(模型)さんの、OBさんのショップ でした。
カーマニアの方には、興味津々のお店、間違いないお店です。
オーナーさんは、留守でしたが、店員さんに親切にしてもらいました。
時々、富士方面にも来られるそうで、話しが弾みました。
そこで、僕なりに、アメリカのナスカーレーサーの尾形明紀君の話しをさせていただきました。
それでもまだ、クーのオーナー(業界では有名なインテリアコーディネーター)は、帰ってきていないので、
大学の同級生F君(教師)が、クーさんの近所だと知った僕は、
そこで(河内庵さんの向かい)、お茶をご馳走になりました。
そして、帰りに、静岡市葵区落合(井川よりは南)の玉川中学作のお茶を、お土産にいただきました。
代わりに、兄には申し訳ないですが、八ッ橋を渡しました。
(お兄ちゃん、お姉ちゃん、このブログを見ていたら、ごめんなさいです)
ようやく、クーさんが帰ってきましたので、30分位だけ話しをしてきました。(20年ぶりでした)
以上、いつもの様に不思議な1日でした。
興味を持ったら行動が、僕の人生です。
推敲してないので、滅茶苦茶な乱文をお許しください。